龍昇企画
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評論
ご挨拶にかえて (「行人ー眠りのない荒野ー」2005年2月公演パンフレットより)

演劇から15年も離れていた私に、昨日の今日のように龍から次の公演台本を書くように電話があってから、約一年して今日を迎えました。軽率に書くことを深く後悔したあとで、結局「自分の観たい舞台を書くしかない」と居直りました。
テレピなどの映像メディアが提供してくれる延長線上に演劇があるなら、テレビを観ればいい。自由であるはずの演劇から足が遠のいていたのです。

舞台の現在とはなんでしょうか。ドラマティックな場面やスペクタクルはテレピや映画が十分すぎるほど供給してくれます。アニメの質の高さや表現力は目を見張るものがあります。いま舞台の上でどんな迫真の演技をしても、ドラマティックなものをはじめとして、これらのメディアと同じことは舞台の意味としては希薄なように見えます。

演劇の舞台表現に残っているのは、ドラマが背後にあって、舞台の上では役者たちが豊かな言葉を介して関係を透けて見せることだけであるように思えました。立ち位置や台詞の掛け方ひとつで役者の関係が変化する舞台が観ることが出来れば、それこそが私が観たい舞台です。これは新劇が役柄の典型を作り上げ、舞台に配置して成立させていることとは全く違っています。

作家が出来ることは(構造〉としてのフレームワークを書くことであり、あとは演出家と俳優たちが関係を作り出す現場が残るはずです。そのために必要な豊かな言葉は漱石が提供してくれました。私の台本を読んだ演出の福井さんの感想は、「美しい言葉ですね」というものでした。そして、今度の芝居は「戦略としての文学」と、「反グローバリズム」だとも云われました。稽古場に何度か顔を出して、それが具現化していく過程に立ち合い、福井さんが本気で文学を舞台に立ち上げようとしている姿を見ました。その凄まじい真剣さと迫力は、稽古の現場で一度も崩れることがなかったのです。そして、「戦略としての文学」は、演劇にとってドラマを舞台の背後に持つことを可能にしました。

「美しい言葉」とは、人間関係の豊かさを表現できる深みのある言葉のことです。漱石の言葉は、関係の深みと豊かさを表現できる力をもち、俳優たちを苦しめました。龍昇企画の手練れである役者たちが、これほど自分の力量と真正面で向き合っている姿も見たことがありませんでした。
でも、これこそが交通標識のような一義的な言葉の体系で世界を飲み込むアメリカン・グローバル・スタンダードとは全く正反対のローカルな日本語の文化の世界に違いありません。まさに「反グローバリズム」です。

私たちは、さらにこの作業を続けていこうと思っています。最後にご挨拶にかえて、これが、私が観たい芝居です。これが私たちの芝居です。そして、これが本日、皆様に観て頂く芝居です。

犬井 邦益(作)

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